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貧乏が生命保険をかけ続けた末路

こんにちは。でんすけです。

今日は母が死んで2年、三回忌でした。
といっても、ステイホーム、3密は避けろ、緊急事態宣言の中、
親戚を集めたり、坊さんを呼んだり、会食を開いたりなどは一切していません。

というか、ほとんどの親戚に母が死んだことを知らせていない状態です。

葬式も一人でしましたし、墓にも入れていません。
2年経ったので、徐々にさらしていきたいと思います。

まぁ、内容は、想像し難いようなことが多いので
フィクションだと思って楽しんでいただければと思います。

第1回目は、生命保険のムダと母の死について紹介したいと思います。

地元から離れより貧乏に

母は、母子家庭で兄と私の2人を育てました。
正規雇用の仕事はできず、パートで安月給でした。

兄は不良として育ち、今も地元に住んでいます。
私は地元から離れて会社の寮に住んでいます。
そこそこのサラリーマンで、そこそこの給料をもらって
ひねくれ者になっています。

5年前、兄とある問題があり母は地元から出て、
私の住む近くに引っ越しをしました。

貧乏の母には引っ越しなどの資金はなく、全て私が払いました。

地元では市営住宅に住んでおり、とても安いアパートでした。
さらに母子家庭で世帯収入がかなり低かったので、
他の住民より格安で借りられていました。

また、祖父母が近くにいたので、
米や野菜、魚などを分けてもらったりすることが多くありました。

地元から離れると、ボロ物件でも賃料は2.5倍、
もちろん米や野菜、魚を分けてもらうことはありません。

生活水準を落としたとしても、支出が多くなってしまいます。

ババアが慣れない土地で働くのは難しい

母は引っ越してから、パートなど仕事をしていました。

しかし、調理の仕事の募集でも精神異常者の介護をさせられたり、
やたら休憩が長い仕事で給料がとても低いとこだったり働く環境はよくありません。
パートを長続きせず、何度も辞める→パートするの繰り返しでした。

スキルや資格もほぼないので、欲しがる求人も限られています。

仕事をしていない間は、すべての生活費を私が払い、
私の貯金を切り崩して仕送りしていました。

「働きだしたら払うから」と言っていたので、
その言葉を信じてお金を貸していました。

しかし就職しても長続きしないし、
パートなので給料も安いし生活できないレベルです。
10か月くらいその生活を続けていましたが、
私の貯金も底が見え始めて

このまま続けると私の人生も終わってしまうのではないかと、
だんだん恐怖を感じるようになっていました。

そのころには、
「いつ返してくれるんだ?」
「いつから働き始めるのか?」

と聞いても

「死んだら返すから。」
「生命保険で〇千万円、でんすけだけに入るようにしたから。」

と生命保険をあてにしたばかげた回答しかありませんでした。
親子の会話というより、借金の取り立てのような会話しかしていませんでした。

”金の切れ目が縁の切れ目”といわれますが、
まさにその通りです。

貯金のほとんどをニートに使われてしまうと、
親であろうと関係が崩れてしまいます。

生命保険は1年以上かけると自サツしても保険がおりることは知っていました。

本当に自サツをさせて、生命保険をもらうことも考えたくらいです。
「首吊ってシんで。」と伝えれば、すぐにでもシぬくらいどちらも精神崩壊していました。

しかし、実の母をコロすことはできず、
兄との問題が解決していない地元に帰らせることにしました。

生活保護者は生命保険はかけられない

地元に帰らせたのをきっかけに、生活費の仕送りはやめて、
生活保護を受けるよう説得しました。

これ以上の仕送りは私の生活に影響があると感じたので、
使いたくはなかったものの、生活保護は最終手段として使いました。

兄がいるから生活保護要らないだろって思うかもしれませんが、
その兄が原因で安い市営アパートは追い出されたり、
いろいろともめました。

一応生活保護を受けることになったのですが、
生活保護者は高い生命保険をかけることはできません。
貯蓄性のあるものは全て解約されられて、
掛け捨てだけは入ることができます。

しかし、そのような余裕はありません。

ずーっと続けていた生命保険をやめることになりました。

知識のない母は、自分で体調が悪いのを分かっていても、
お金がないことを理由に限界まで病院に行かず、
私にも兄にも連絡をせずただ耐えていました。

ある日、私に連絡があったのは病院からでした。

次の休日に病院にいくと、医師からは長くて余命半年と伝えられました。

母は医師から余命のことは伝えてもらっていなかったみたいでしたが、
私を呼び出すくらいだから、察しがついたのでしょう。

「もう短いんでしょ?」
と弱弱しい声で聞かれたのを覚えています。

母とは昔から、死ぬ前は全て正直に伝えてほしい。
ガンでも病気でもケガでも余命〇年とか〇ヵ月など包み隠さず言うと

約束をしていたので、嘘はつかず正直に伝えました。

ためらいもなくはっきりと伝えたので、
その場にいた医師と看護師がビビっていたのを覚えています。

私のサイコパス感にビビっていたのかもしれません。

毎週休みは看病したり、家の整理をしたりできることをしました。
病気の進行は止められず、治療もできず入院してから3か月で亡くなりました。

貧乏だからこそ亡くなったときの遺産として、
生命保険をあてにしていたのに、
亡くなる前に保険料の支払いができず、
それまでの保険がムダになりました。

私のためと思って、シんだら金持ちになるようにしていたのかもしれません。
生命保険分を生活費に回していれば、
もう少し裕福な生活を送れたかもしれない。

もっと良い親子関係を築けて、
病気にも早く気付けていたかもしれない。

そのころは保険や貯金、投資などの知識はほぼゼロでした。
生活保護についてももっと深く知って、
情報を共有化していれば、何か変わったのかもしれない。

2年経った今でも悔いが残ります。

まとめ

貧乏で生活が苦しいのに生命保険に加入してしまうと、
最終的に保険料が払えなくなります。

ポックリ シねば、遺産として保険料を受け取ることはできるかもしれません。
しかし、何かをきっかけに働けなくなることもあります。
生活保護を受けざるを得ない状況になってしまうと、
生命保険の支払い能力がなくなり、今までの支払いはムダになってしまいます。

私の母の例を反面教師として、生命保険のかけ方を考え直してみてください。

生命保険を全て否定しているのではありません。
生命保険を貰わないと生きていけないような家族がいる場合は別です。
例えば、小さい子供がいて自分がシんだらその子供が生きていけないような場合です。

成人して就職していて子供だけで生活できるのであれば、
親にかける生命保険は不要です。

その保険料で貯金をしたり、投資をしたりする方が将来役に立つでしょう。

毒親ではありましたが、母にはすごく感謝しています。
ありがとう!
感謝を伝えられなかったことが一番の後悔です。

5月10日(日)は母の日です。
みなさんは恥ずかしがらず「ありがとう」と伝えてみてはいがでしょうか?

最後まで読んでくれてありがとう。
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